~自殺について思うこと~

自殺をしたいと思ったことがある人、実践した人、しようとした人はどのくらいいるのだろう。

 

こんな私でも、自分の手で首を絞めてみたことがある。生きてここにいると言うことは、世に言う〈死にぞこない〉の部類だろう。

 

理由はともあれ、自殺者があとを断たない。

 

自殺してゲームのように、簡単にリセットできると思ってる人もいるかもしれない。それが出来るならどんなに楽か。

 

私はリセットなど望んではいなかった。とにかく、苦境から逃れたかっただけ。

 

死にぞこないの私が言うのも何だが、自殺した人は、自分勝手で、自分のことしか考えていないことに気づいていない。

 

〈車に飛び込む〉何の関係もない運転手や同乗者を巻き込む。トラウマで運転出来なくなる可能性も。

 

〈電車に飛び込む〉何の関係もない運転士、車掌、乗客を巻き込む。トラウマで運転出来なくなる可能性も。乗客は足止めを食う上、その電車を待つ人にも迷惑をかける。

 

〈屋上から飛び降りる〉その建物の持ち主のことを考えていない。事故物件になってしまう。

 

〈部屋で首吊り・服毒など〉アパートやマンションなら事故物件になってしまう。一軒家だとしても、その後にそこに買い手がつきにくくなる可能性がある。

 

 

自殺して、あっさり成仏出来ればいいが、たいがい念はそこに残るらしいので、自殺者はあちらの世界では簡単に受け入れてもらえないという話しを聞いたことがある。

 

死んでもなお行き場を失うのは、惨めな気もする。

 

ならば、ほんの一瞬の喜びのために生きてみるのはどうだろう。

 

イジメが原因で死にたい学生なら、なんだかんだ理由を付けて引きこもるなり学校に行かなければいいと思う。小・中は義務教育だから籍は置かなければいけないが、なんなら卒業式や修了式だけ参加するとか、逃げ道を探してみればいいのではないだろうか。

イジめられて辛いなら死ぬ前に反撃する事を考えてみるのも1つの手かもしれない。

イチかバチかの作戦だが、もし、今の時代でも文集というのがあるなら、それ用の原稿に、〈いじめた人の名前〉〈どんな風にいじめられたか〉事細かに書いてみたらどうだろう。そこで学校の真価が問われると思う。

高校は義務教育だから、行くか行かないかは本人が決めることだし、中退しても自分流に知識を身につければいいと思う。

 

勤め人なら、何のことはない。辞めればいい。『簡単には辞められない』と言う人がいるけど、嫌なとこにわざわざ身を置くのは何故だろう?迷惑がかかるからと思うから?一時はそうかもしれないが、今の時代、業種にもよるだろうけど、すぐに穴は埋まるから気にする必要もないし、自分を過信しすぎだ。

 

どうやって、生きる道を1秒でも永くするか。例えば、好きなタレントがレギュラーで出ているテレビ番組があるとする。その番組を見終わるまでは、死なないとか、最終回を見るまでは、とりあえず生きてみるとか目標を立てる。

次に最終回が来たときにまだ、死にたいと思っているかどうか自問自答してみる。

その時、その気がないなら、そのまま生きていけばいい。もし、まだ死にたいと思うなら、他人に迷惑がかからない方法を考える。

そこで気づくはずだ。自殺するということは、自分の苦痛で赤の他人・見ず知らずの人を巻き込むという事を。

自殺は自然死よりも他人の運命・生活を巻き込むことになる。

 

死ぬ気になれば何でも出来るとは思わないけど、死ぬ勇気があるなら、その一歩前に自分が楽になれる道を見つけてみてはどうだろう。

 

これは私の意見であって、絶対的なものではないので、真に受けて実践して上手くいかなかったからといって、恨まないでいただきたい。ただし、赤の他人に迷惑をかけるというのだけは、間違っては無いと思う。

 

 

私はとりあえず、もう一度CHAGE&ASKAさんのLIVEを生で観るまでは死ねないと思っている。